「アトリエ・ポレポレ」が30年にわたって育んできたつながりを共有しながら、「オープンアトリエ」という場が果たしてきた役割と価値を考えるフォーラム【アトリエ・ポレポレ30周年祝 誰もが自分らしくいられる〈オープンアトリエ〉 〜ひらき、ともに生きる】が、2026年2月23日(月・祝日)に東京・港区のSHIBAURA HOUSE(シバウラハウス)で開催されました。
ポレポレにさまざまな形で関わってきた人や参加メンバー、活動に関心を寄せる71人の参加者で満席でした。30年にわたりファシリテーターを続けているサイモン順子さんに敬意と感謝の気持ちを表し、会場内は終始あたたかい雰囲気に満ちあふれていました。
さらに、この日は外気温も23度という5月並みの暖かさ、記憶に残る日となりました。
セッション1では、アトリエ・ポレポレに刺激を受けて障害のある人の表現活動に関わっている3人が、ポレポレの魅力や心地よさ、つないでいきたい思いを語り合いました。
セッション2では、開設当時に学生ボランティアとしてかかわっていた神谷尚世さんを迎え、東京都市大学教授の坂倉杏介さんが進行役として、ファシリテーターのサイモン順子さんの核となるものを探り出しました。
会場のSHIBAURA HOUSE 参加メンバーが“ガラスに描ける画材”を手に、思い思いの線や色を描いた
●登壇者
脳天ぐらつく衝撃の出会い
登壇した3人はそれぞれ20代のころ、障害のある人に出会いました。
山口さんは、ポレポレで初めて障害のある人たちと出会いました。「美術を勉強してきた私にとって、ものすごくカッコイイという印象でした」。「カオスの世界に脳天がぐらつくような衝撃をうけ、求人も出ていないのに『ぜひここで働かせてください!』と志願し、エイブル・アート・ジャパンのスタッフとなりました」。そして今も障害のある人たちの表現活動に関わっています。
「サイモンさんは、『先生』と呼ばれるとメチャクチャ怒ります」。そこにいる人を肯定しながら見守る伴走者(ファシリテーター)です。「何を描こうかと悩んでいる人がいるとサイモンさんはそっと隣にすわって肩に手を置く。教えるのではなく『あなたのことをずっとみているよ』と寄り添う姿勢がポレポレらしいと撮った写真を今回のチラシに使っています」。
今回のチラシに使われたサイモンさんとメンバーの写真
ここにルーツがあった
岡崎さんは、主に関西を中心に2005年からオープンアトリエと言われる場をいくつか開いてきました。手探りでやってきた活動でしたが、基本的には「それぞれが安心して好きなことに没頭できる空間をつくって、みんなで楽しく幸せな時間を過ごしていく」ことを大切にしてきました。
しかし近年、障害がある人たちのアート活動は、活動のあり方よりも社会的な成果が前提となり求められるものが変わってきたように…そんな状況に疑問を感じていた3年前にポレポレに見学に行きました。ポレポレの歴史に触れてきたわけではありませんでしたが、空気を吸った瞬間に、自分が大切にしてきたことのルーツがここにあったと感じました。「手探りでやってきたことがつながっていた」と感じました。
自分が自分でいられる場所
渡辺さんが、ポレポレの存在を知ったのは大学生時代。悩んでいる時に「自分らしさを出せる場所」「なにものでもない者でもゆるされる、『あなたのままでいてよい』という心地よさを感じました。だから自分がここにいられる。いなくてもいいのかも。でもいてもいいのかな~と思いながら居続けています」と謙虚に話す渡辺さんは、ポレポレになくてはならない存在です。「職場では年々求められることが増えていて、息苦しいことが多いのですが、ここでは『ワタナベ~』と呼び捨てにされるだけでもうれしい」とポレポレの心地よさを強調しました。
さらに渡辺さんは「今は来られないけど来たい人もいる。これから未来に必要とする人もいる。そういう人もみんなつながっている」とも話しました。
ポレポレメンバーの参加者紹介
トークセッションの間も会場の後方では、ポレポレのメンバーたちが、設営されたいつものテーブルで、いつものように絵を描いていました。
セッション1の最後に、参加している8人のポレポレメンバーを紹介しました。東中野(中野区)の事務所から始まり現在の泉岳寺(港区)まで4回の移転があったにも関わらず、埼玉県、千葉県から通い続けているメンバーもいます。
セッション1の話から見えてきたのは、アトリエとは作品を作る場所である前に、「その人がその人でいられる場所」であるということでした。最近では、障害者のアート活動の捉えられ方が変わってきたという岡崎さんの指摘もありましたが、ポレポレは上手な絵を描くことを指導する場ではなく、あるがままの自分をゆるされる「人としての表現の場」であることが、3人のことばからも確認されました。
セッション1の写真 登壇者は、左から山口さん、岡崎さん、渡辺さん
●登壇者
●進行
サイモンさんの引き出す力 “サイモンマジック?”
神谷さんは、エイブル・アート・ジャパンの前身「日本障害者芸術文化協会」ができたばかりの1994年、東北福祉大学生の時にサイモンさんに出会いました。「今の私はその時のサイモンさんの年齢になりました。当時のサイモンさんは魔女のようなイメージで、最初はしゃべれませんでした」。(笑)「大学でエンパワーメントということばを習いましたが、サイモンさんは、それを実践されていました。愛情深く、その人の今までにない表情をも引き出していました」。「『これもできる、あれもできた、すごいじゃない!』と“サイモンマジック”にかけるんです。私もそのおかげで、障害のある人に対する自分の凝り固まっていた既成概念がとれていきました」と話し、サイモンさんのように生きていきたいと、これからの30年を見据えました。
障害のある人たちの表現は生きる力、そして通じ合う
サイモンさんがポレポレを始める前には、東京・西多摩郡の施設で障害のある人との出会いがありました。それまで障害のある人と接点がなかったサイモンさんが、彼らの描いた絵を見て「自分は学校で習ったことしかできないのに、習っていないこの人たちの方ができる」ということを感じました。そして、「絵を描いたり踊ったりすることが私たち以上に生きる力になるんだと思いました」。
「私がしていることは『自分の中にあるものを昇華して出す』ということ、上手な絵を描くことではなくて、自分の中にあるものを出してみせてもらうんです」
「芸術を通して人は通じ合うことができるんです。通じさせるのでなく<通じ合う>こと。それを大切にしたい」と。ことばではなくそれが芸術の力。
「障害者の差別が徐々になくなってきてはいるけれど、これからまだまだやることはたくさんあると思っている」と衰えない意欲を見せてくれました。
最後に「かけがえのないサポートをしていただいている渡辺一充さん、設立から長きにわたり共に歩んできた太田好泰さん(元エイブル・アート・ジャパン事務局長)、これまで支えてくれた多くの人たちに、心から感謝申し上げます」と声を震わせました。
障害とかアートだけでなく、それぞれの場所で実践できることを
坂倉さんは「さまざまな困難があってもたくさんの人が知恵を絞ってポレポレが続いてきたことに感動しました。そしてサイモンさんが言うように、障害者が隔離されていた時代から、いろいろな人が関わりあう場所ポレポレを作ってきた。健常の人はゆっくりすることを忘れている、素の自分をだせる場所が必要だったんだなと気づかせてくれた、それが先駆的だったんですね」と開設当時の先駆性について改めて説明しました。
「『表現していることが生きていることそのものなんだ』と、ふつうの社会にいてことばで聞いてもわからないが、アトリエの中にいて光景を見たり自分がやってみたりすることで教えてもらうのではなく自分が感じることがだいじなんだなあと思います」
最後に「今日のセッション1も含めて<障害>とか<アート>だけではなく『あー私はここに生きていてもいいんだ』ということを実感できるから沸いてくるエネルギーを大切にできる、そんな場所を私も私の現場で作っていこう、そして今日参加したみんなが『私は私なりに』と、それぞれの場でやっていくことがだいじなんだと思いました」と締めくくりました。
セッション2の写真 左から坂倉さん、サイモンさん、神谷さん
【親たちの居場所でもあるポレポレ】
セッション終了後、初回からの参加メンバー佐々木卓也さんの母、佐々木睦子さんに感想を伺いました。「ポレポレは母親たちにとっても、交流する大切な場所になっています。ここで出会ったいろいろな人とのつながりは宝物です」と話していました。メンバーの親たちもここを支えにして通い続け、また逆にポレポレの支え手としても力となってきました。
全体を通して感じたのは「オープンアトリエ」とは、単にだれでも受け入れるということではなく、その人が自分のありのままを出せる場所であることだと思いました。役割や肩書に関わらず人が人として尊重され、それぞれの時間を過ごす。自由な安心感があるから、個性的で魅力のある作品が生まれるのではないかと気づきました。
地域の中にポレポレのような場所が存在し続けることができるのは、制度や仕組みだけではなく、丁寧に積み上げてきた人と人のつながり、信頼関係が育てたものだと思います。このような「オープンアトリエ」が地域に存在していることの意味は大きく、だれもが生きやすい社会を考える上でとても重要な取り組みであると感じました。
当日の会場後方に設置された、ポレポレで長年使われている“いつものテーブル”
(レポート:伏島陽代/日本障害者芸術文化協会元スタッフ、ポレポレボランティア)